2015年御翼7月号その2

両親が愛し合っている家庭を―― ジョン・ドレッシャー牧師

  

 親としての第一の責任は、子どもたちが心から愛されているという気持ちになるようにすることである。子どもは両親に受け入れられていると感じる時、人々からも神からも受け入れられていると思うようになる。ロシアの文豪トルストイは、「神を教えない教育は悪魔を作ることだ」と言った。

 子どもに安心感を植え付つける事柄―― 父親と母親との信頼感
 かつてジョン・ドレッシャー牧師は、家族について、「息子を良い子にしてください。息子が従順になるよう、あなたの愛を注いでください。娘たちがキリストの愛を知り、真の愛を人間関係の中でも理解できるように、妻は忙しさに負けず、家庭を穏やかに保つようにさせてください」と祈っていた。ところが、子どもたちは、幼いころよりも、愛について分からなくなってきていたという。思いやりや親切といった性格も以前より失われていた。
 ある夜、自分は父親・夫として、見当違いの祈りをしていたことに気付く。子どもたちがキリストの愛を知るためには、自分がキリストの愛をもっと体験し、父親としての真の愛を家族に示すことができるよう、祈り求めるべきだと知ったのだ。それ以来、彼の祈りは、「主よ、あなたがいつも私に示してくださっているような愛といつくしみにふさわしい者と、私をなさしめてください」というものに変わっていった。妻に関しても、良い妻になるよう願ったり注文したりせず、妻が働きやすく、仕事が楽になるように、自分が助けとなることに祈り、夫として妻を幸せにするために、何をしたらいいかを示してください、と祈った。妻を幸せにすることが、夫としての務めだからである。
 すると、家庭が変わり、世界が変わった。新しい、愛に溢れた雰囲気が家の中に満ち始め、子どもたちの心も和やかになった。これは全て、家族が変わるように祈ることを辞め、家族の心を傷つけたり、関係を痛めたりするような言動をつつしみ、自分が妻や子どもを幸福にできるようにと願った時に、起こったのである。
 妻や子どもについての祈りは、基本的には、家族一人ひとりについての感謝の祈りである。それは、家族一人ひとりを与えてくださった神さまをたたえることなのだ。神さまの愛と赦しの中に自分自身を置き、ありのままの姿を素直に認められるようになってはじめて、他人の欠点を受け入れることができるようになる。神さまの愛を父親として体験してから、ようやく家族と共に神さまの愛を分かちあうことができるようになったと、ドレッシャー牧師は語る。
 ケネス・フォアマン博士は次のように書いている。「ケンタッキー州のルーイビルの保護観察官がこんなことを言っていた。『どんな家庭からでも、法にふれるような罪を犯す少年は生じ得る。けれども唯一例外がある。夫と妻の間に良き調和や協調のある家庭の子どもには、こうした問題の生じたためしがない。』」ジャスティン・S・グリーンという精神科医もまた同じようなことを言っている。「二十五年間臨床に携わっていて、両親が互いに愛し合っているような家庭で、深刻な情緒的な障害が生じたケースを私は見たことがない」と。
 神の愛情なしの子育て、教育、躾けなど考えられない。子育てにおいて、まずイエス様に触れていただこう。そのためには、親子共々、イエスの元に行き、そのあがないを通して父なる神の愛の中で生きる者となろう。

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